加藤家の家紋・蛇の目
        黒野城の歴史を発掘し、未来へ繋げる活動をしています。

黒野城郭の遺構

現在に残る黒野城郭の遺構を紹介します。

黒野城跡

本丸跡

近世城郭の平城であった黒野城本丸の規模は約100mの方形。平野部に短期間だけ存在した城郭としては奇跡的な程昔の面影を残している。

石垣の痕跡

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本丸西側入り口、虎口付近には石垣などに使用されたと思われる石材が残っている。石には矢穴痕がみられるものもある。
黒野城築城に使われた石材は西方約3.5kmの船来山から運ばれてきたと考えられている。

本丸の周囲には幅約15mの堀が廻らされ現在は水が枯れているが、かつては常に水を湛えた水掘だった。
現在でも雨の多い時期には写真のように水が溜まり往年の姿を偲ばせる。

北西櫓跡

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本丸北西の土塁には張り出し(写真右側)が見られ、二層又は三層の櫓が建っていたものと思われる。
黒野城には天主閣が無く、天守に相当する建物があったと考えられている。
平成25年にこの場所で初めての発掘調査が行われたが残念ながら建物の痕跡は見つからなかった。

南東櫓跡

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北西隅櫓跡と同じように南西にも土塁の張り出しがあり、ここにも櫓が建っていたものと思われる。
昭和時代の造成で南側土塁が崩された際にこの張り出しも多くが崩れ、現在は東側にわずかに残っている。(写真左側)

本丸土塁

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本丸は傾斜約45°の土塁で囲まれ、現存する高さは約5.4mで築城時はさらに高かったものと考えられる。
現在の南側土塁は昭和時代に造成されたもので、築城当時は現在地より北に約5mの位置にあったと推定。
造成の際に南側に橋、南西部は遊具が設置され虎口の原形の面影は少ない。

外堀跡

黒野城郭は本丸を中心に三重の堀と土塁に囲まれていた。
本丸の北約200m多賀神社の北側に東西約600mの規模で外堀と、東に約200mには土塁跡が約60m残っている。
かつては本丸を中心に東西約1000m、南北約800mの外堀が囲み、現在でも水路となっている場所が多数ある。

搦手側の土塁跡

南西から撮影(2010年頃)

北東から撮影

北から撮影

南から撮影

本丸の北東約400mの場所に横矢屏風(よこやびょうぶ)折れの土塁がL字形状に唯一現存、外堀の土塁の遺構としては最も大きなものであるが私有地で現在は藪に覆われている。
2015年8月〜9月にかけ、研究会により地主の許可を得て竹藪の一部が伐採された。

黒野城下町の地図

「黒野城と加藤貞泰公研究会」が発行したパンフレットに黒野城と城下町の遺構や地図などが掲載されています。

訪ねてみよう黒野城下町(pdfファイル.3.48MB)

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